禅幢寺

付近住所 岐阜県不破郡垂井町岩手


禅幢寺
当寺は、明応3年(1494)薩州金幢寺の僧正碩和尚が開創。宗旨は曹洞宗。
 豊臣秀吉公の軍師として活躍した竹中半兵衛重治公は、天正7年(1579)播州三木の陣で病没。当寺の重治公の墓は、天正15年(1587)父の菩提を弔うため長男重門公が三木から移葬したものである。
 現在の本堂は、重治公の孫重常公が寛文3年(1663)に建立したもの。また、当寺には町指定絵画・竹中半兵衛重治像がある。

竹中半兵衛重治の墓
 竹中半兵衛は戦国時代の武将で、豊臣秀吉の望みに応じて出陣し、戦略の武将としてその名をとどろかせました。天正7年(1579年)4月三木城(兵庫県)攻撃の陣中病気になり、秀吉は京都で静養させたが、武士が座死することは恥だといい、病をおして戦場にでかけ6月13日36歳でなくなりました。秀吉はその死を深くいたみ岩手禅幢寺に墓を建立しました。